Dekigioto(96/5/4)
昼御飯を寮で食べた後、天気も良さそうなので不意に鎌倉へ行きたくなった。
昼のニュースで鎌倉で大きなボタンの花が見られるというのが耳についていたからだと思う。
追浜から京急に乗り、次駅の金沢八景駅で逗子線に乗り換えた。
追浜に住んで4年が経つが逗子線に乗るのはこれが初めてだ。
逗子でJRに乗り換え、鎌倉へ、
追浜から鎌倉はあまり遠くないけど、電車を乗り継ぐとやはり面倒くさい。夜中に車で
何度か鎌倉を通過したことがあるが、そのときはあまりに近いので驚いた記憶がある。
最初に通った時はデジャビューを起こした。京都にいるような錯覚をしたのだ。
それから3年ほど経つが、今日、ようやく鎌倉見物にいくことができた。
目的地はあらかじめ決まっていた。昼間のニュースでやっていたボタンの花も
魅力だったが、目当ては大仏と文学館である。
大仏は原田知世が主演していた「早春物語」でのシーンを思い出したからであるし、
文学館は鎌倉の観光案内に載っていた写真を見て、見に行くことを決めた。
鎌倉へ着いての第一印象はとにかく人が多い。江ノ電の切符を買うのにあんなに並ぶとは
思いもしなかった。GWだからある程度想像していたがあそこまでひどいとは思いもしな
かった。気楽に散策とは行かないまでものんびりとすることができるという願いはこの時点で
夢と終わった。
観光シーズンの京都へも何度か足を運んだかあそこまで人は多くない。やはり、都心から
近いから手軽な観光地になるのであろう。まさに、原宿の竹下通りを歩いているような
混み具合である。
江ノ電で長谷まで行ってそこから10分程度歩くと大仏がある高徳寺に着く。
拝観料200円也を払い中に入るわけであるが、ここにも長蛇の列があった。やっとの思いで
中に入ると中は人が多いものの以外と広々としていた。でも、何か自分の中にあるイメージと違う。
参道が短いのである。入り口から4、50mのところに大仏様が鎮座している。僕の
イメージでは参道はゆうに100mはあったのである。
まあ、人のイメージなんてそんなものだろう。映画やテレビのワンシーンや観光案内、絵はがき
で作られた疑似体験の世界だから現実と全く同じ訳はないのである。自分勝手な解釈に納得して
15、6分大仏の周りをしげしげと見渡した。大仏の裏へ回って、急に現実の世界に引き戻される。
背中に窓(?)が二つ、大きく開いているのである。中が空洞になっているから
そのための空気穴なのか。それとも中に入ることでもできるのか。いずれにせよこの大仏も所詮
作り物と我に帰させてしまった。
大仏を後にして文学館へ向かった。
文学館は一転して観光客は少なかった。それなりに人はいたがまばらであった。
たぶん、この建物もどこで見たことがある。それは映画の中か雑誌に載っていた写真かは
定かではないが、見たことがある。
前庭は広々とした芝生の庭ではシートを広げている家族や寝転がりながらひなたぼっこをする
カップルなど思い思いにくつろいでいる。
時間が許せば今日みたいなのどかな日は1日でもこういうところでのんびりしたいものだ。
暖かな前庭に後ろ髪を引かれる思いで、文学館の中へ入った。中には鎌倉に関係する文学人たちの
作品がところ狭しと並んでいるが、文学に不勉強な僕はほとんどの作家を知らない。
ただ、生原稿も展示してあり、その推敲の量がものすごいのに圧倒された。僕も含めて最近
文章を書く人はワープロやパソコンで文章を書いてしまうため、推敲という作業がほとんど
ないように思う。(していないのは僕だけか・・・)
文学館を離れた僕は鎌倉駅まで1.5kmという表示に歩くことを決めた。
相変わらず、人は多い。車も下り車線は渋滞しており、つくづく車でこなくて良かったと思った。
鎌倉駅からは今度は横浜経由で追浜への帰路へついた。
1996年5月4日著す
鎌倉文学館の案内から
この文学館は、加賀百万石の藩主で知られた、旧前田侯爵家の鎌倉別邸でした。
この別邸は、第15代当主前田利嗣氏が、明治23年頃に土地を入手して建てたのが
始まりで、現在の建物は、第16代当主利為氏が、昭和11年に洋風に全画改築した
もので、設計者は渡辺栄治氏、工事施工は竹中工務店でした。
建築用材は塩害に強いチーク材を使用、室内のステンドグラスや照明器貝な
ども粋をこらしています。
明治時代には、当時皇太子であった大正天皇はか皇族の入々が来遊しており、
戦後にはデンマーク公使が別荘に借用し、昭和39年からは佐藤栄作元首相が借りて、
亡くなる前まで週未の静養地としていました。
この間、吉田茂元首相も数回ここを訪れ、また、作家の三島由紀夫氏も作品「春の雪」
の中の別荘のモデルとして描いていることでも知られています。
昭和58年に第17代当主利建氏より本館建物を鎌倉市に寄贈されたので、外観をそのまま
残しながら、内部を補修し、別棟に収蔵庫を新築して、昭和60年10月31日開館し、
11月1日より一般公開しました。